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福岡地方裁判所小倉支部 昭和35年(わ)296号 判決 1963年1月08日

被告人 世古才吉

大四・六・一生 大洋漁業トロール部予備船員

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、大洋漁業株式会社下関支社に勤務し、昭和三三年一〇月ごろより同支社トロール漁業部所属船第三大洋丸(約五〇〇トン)の船長兼漁撈長として、網入れ及び網揚げの指揮漁獲するか否かの決定、魚種の判断、ならびに漁獲物の処理及び保管の指揮等の業務に従事しているものであるが、昭和三四年八月一日一等航海士鈴木勇外二五名の海員とともに右第三大洋丸に乗り組み、下関港を出港し、同月一二日より同年九月三〇日までの間、東経一〇七度五五分、北緯一〇度二〇分附近のベトナム沖で漁撈に従事中、同年八月二三日および九月三日の両日にわたり網揚げしたところ、漁名不詳の「フグ」が多量に網に入つて来たが、同「フグ」は初めて見る魚名不詳のものであるのみならず、大洋漁業株式会社その他の同業者において、右ベトナム沖で「フグ」を漁獲したとの実績を聞知したこともなく、かつ、一般に南方海域には有毒魚が多いとされている上、特に「フグ」族は魚類中でも人の生命身体に対し危険をおよぼす虞の多い魚であるから、被告人としては、すべからく前記トロール漁業部の指示を受け、右「フグ」を捕獲すべきか否かを決定すべき業務上の注意義務があるのにかゝわらず、不注意にもこれを怠り、右指示を受けることなくして、右魚名不詳の「フグ」が通称「ナゴヤフグ」と大きさ、形態において類似していたところより、その肉だけは食用に供し得るものと軽信し、「ナゴヤフグ」と魚名をつけ、漫然前記鈴木勇に対し販売の目的で右魚名不詳の「フグ」を捕獲し、製品化すべきことを命じ、同人等をして同「フググ」合計一七箱(合計三四〇キログラム)を捕獲させた上、頭、皮、内臓を除去させ、冷凍の上保管させ、同年一〇月一〇日下関港に帰港した際、これを大洋漁業株式会社下関支社第二冷蔵倉庫内に入庫せしめたが、かゝる場合、さらに、被告人としては、同支社トロール漁業部又は営業部の上司に対し、前記のごとく魚名不詳の「フグ」を未知の南方海域から漁獲して持ち帰つたことを報告し、これが販売に供せられる前に、毒性検査等の措置をとり、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかゝわらず不注意にもこれを怠り、かゝる措置をとることなく漫然として入庫したまゝ放置したゝめ、如上の過失により、同月一七日午前一時すぎごろ、同支社営業部鮮魚課係員をして同「フグ」七箱(合計一四〇キログラム)を前記倉庫より出庫させ、同支社小倉営業所及び北九州魚市場株式会社小倉支店をへて、同日午前六時半ごろ、同「フグ」一箱(二〇キログラム)を小倉市産川町一丁目食料品商檜山末太郎に「ナゴヤフグ」として販売したゝめ、同日午前九時半ごろ、同市到津新町二丁目三六番地有限会社新興自動車工場の炊事婦桜井静江が右檜山方より同「フグ」六尾を購入し、これを料理して、一尾につき一個ずつの天ぷらを作り、同日正午すぎごろ、同工場従業員福原日出人(当二八年)、川上敏治(当二五年)、松尾徹也(当二〇年)、常岡勇(当一九年)、川上政治(当一七年)の五名に対し、昼食の副食物として出した結果、同人らにおいて、右「フグ」の天ぷら一個ないし半個を食べたが、同「フグ」の肉には強烈な「フグ」毒が含まれていたゝめ、同日午後一時ごろより同人らをして「フグ」中毒症にかゝらしめ、よつて右川上政治をして同日午後四時二〇分ごろ、右福原をして同日午後五時一七分ごろ、右常岡をして同日午後五時四〇分ごろ、右川上敏治をして翌一八日午前七時四五分ごら、いずれも同市宝町五一番地小倉記念病院において、それぞれ「フグ」中毒症による呼吸麻痺のため死亡するに至らしめ、右松尾をして全治約一〇日間を要する「フグ」中毒症の傷害を負わせたものである。」というのである。

被告人が船長となつて、昭和三四年八月一日一等航海士鈴木勇外二五名の船員とともに、大洋漁業株式会社下関支社トロール漁業部所属第三大洋丸に乗り組み、下関港を出港し、同年同月一二日から同年九月三〇日までの間、東経一〇七度五五分、北緯一〇度二〇分附近のベトナム沖で漁撈に従事中、昭和三四年八月二三日、同年九月三日の両日、網揚げの際漁獲した「フグ」を、被告人が前記鈴木勇に命じて、頭、皮、内臓を除いて冷凍製品化し、「ナゴヤフグ」と名づけ、一七箱合計三四〇キログラムを保管させ、同年一〇月一〇日下関港に帰港した際、これを大洋漁業株式会社下関支社第二冷蔵倉庫に入庫させ、ついで、同月一七日午前一時すぎごろ、同支社営業部鮮魚課係員が、右「フグ」七箱一四〇キログラムを出庫し、同支社小倉営業所及び北九州魚市場株式会社小倉支店をへて、同日午前六時半ごろ内一箱二〇キログラムを小倉市産川町二丁目食料品商楢山末太郎方に販売し、さらに同日午前一〇時ごろ、同店から内六尾を購入した小倉市到津新町二丁目三六番地有限会社新興自動車工場の炊事婦桜井シズエがこれを料理して、一尾で一個あてのフライを作り、同日正午ごろ、同工場従業員福原日出夫外四名に昼食の副食物としてたべさせた結果、同日午後一時ごろから同人らをして「フグ」中毒症にかゝらせ、よつて福原日出人外三名を「フグ」中毒症による呼吸麻痺のため死亡させ、松尾徹也をして全治約一〇日間を要する「フグ」中毒症の傷害を与えた事実は、本件の全証拠を綜合すると、明りようである。

そこで右中毒死傷につき、被告人に刑法上過失の責があるか否か、を考察する。

被告人が冷凍製品化して、ベトナム沖で漁獲して来た「ムキミ」の魚体、及びこれと同種の加工しない魚(以下「本件フグ」と略する)を鑑定した谷巖の鑑定書、同人の証人尋問調書、証人阿部宗明の当公廷での供述によると、「本件フグ」は、背部皮、腹部皮、卵巣、肝臓腸の臓器はもとより、その肉にまで強毒を有し、しかも肉の部分が、他のどの部分の臓器よりも強力な毒を含んでいることが明白であるから、その正体の判明した現在においては、「本件フグ」の肉を食用に供すると、中毒死傷の危険性があることは、一般的に予見することができるであらう。

しかしながら、本件発生当時はどうであつたか。果して結果の発生を予見できたであらうか。

以下、この点につき詳細に検討する。

前掲証拠それに阿部宗明作成の鑑定書二通及び石山礼蔵の調査書を綜合すると、「本件フグ」は「サバフグ」に近似し、これと比較して外形上三点の相違はあるが、一見しただけではその区別は極わめてむつかしく、骨骸を比較するに及んで、初めて同所に特異な箇所四点のあることが判明し、漸く両者の間に差異を発見しうる程であつて、本件発生当時までは、両者にこのような差異のあることは知られていなかつたのであつて、全く「サバフグ」そのものと信じられていた。

前掲証拠によつても明らかなるように、本件中毒事件を契機として、「本件フグ」の正体が判明し、魚類学上は、やはり「サバフグ」のはんちゆうに属するけれども、毒性による危険を防止するいみから、一応「ドクサバフグ」と通命を与えられ、阿部宗明により魚類学界に新しく発表されるにいたつたものである。

石山礼蔵の調査及び証人田村市朗の証言によると、魚撈に従事する一般漁業者の間においても、全く同様の事情にあつたことが明らかであるから、被告人が「本件フグ」を漁獲した当時は、魚類学界及び一般漁業者を含め、一般に、「本件フグ」と「サバフグ」とは区別のないものと信じられていた事実は疑う余地がない。

しかも谷巖の鑑定書、同人の証言、及び同人がかつて「フグ」の毒力検定につき研究発表した「日本産フグの中毒学的研究」(昭和三六年押第一一〇号の15)によれば、「サバフグ」は肉はもとより、卵巣、肝臓共に全く無毒で、安全な「フグ」として一般に珍重され、従来日本近海でとれたその他の「フグ」も、有毒臓器を除去しさえすれば、肉のみの食用による中毒は起らないとされていたのであるから、被告人が「本件フグ」を漁獲した当時にあつては、「サバフグ」そのものと思われていた「本件フグ」をしかもその肉のみを食用に供しその結果人が中毒死傷するなどとは、一般に予見することができなかつたといわなければならない。

ただ、行為者に課せられる注意義務は、それぞれの事件ごとに、個別的具体的に決定しなければならないから、予見可能性の有無を決定するにあたつても、行為当時において、客観的に知りえた事情の外、行為者が知つていた諸事情をも加味して、その上で、予見可能性の有無を客観的に検討する必要があらう。

この意味において、本件に関する予見可能性を考えるためには、単に右に述べたような「本件フグ」による中毒死傷の結果を予見しえたかどうかを考えるだけでなく、進んで、「本件フグ」の漁獲地域か、今まで「フグ」を漁獲した実績のないベトナム沖であること熱帯ないし亜熱帯地方の魚には、一般的に、日本近海にとれる魚と同一種類のものでも、有毒のものがあつて危険であることをも考慮にいれて、なおかつ中毒死傷の結果が予見できたかどうかを考えてみなければならない。

成程証人阿部宗明の証言及び被告人の検察官に対する供述調書によると、熱帯、亜熱帯地方には有毒の魚がかなり生息すること、ベトナム海域の魚に関する研究資料の乏しいこと、それに日本の漁業者が同地域で「フグ」を漁獲した実績のないことも明りようであるが、しかし、被告人自身かつてビルマ沖からシンガポール沖にかけて出漁した経験によると、この地域でとれた魚で中毒事件をひき起こした事例を聞いたこともなかつたというのであるから、これらの諸事情を、考慮に入れても、なおかつ、当時「サバフグ」そのものと思われていた「本件フグ」の肉のみを食用に供することによつて、中毒死傷の結果を招来しようなどとは、一般に予見できなかつた、とみるのが相当である。

このことは、「本件フグ」がベトナム沖で漁獲されたことの報告を受けてこのことを知悉していたはずのトロール部の被告人の上司がこれに何らの注意を払うことなく、漫然看過した事実に照してみても裏づけられるであらう。

ただ、注意しなければならないことは、被告人自身第一回公判において述べているように、被告人は「本件フググ」を「ナゴヤフグ」そのものと信じたのではなく、「ナゴヤフグ」に似ていると思つて漁獲したことである。

このことが、検察官の言葉を借りるならば、「被告人は、「本件フグ」を漁獲するに際し、かつてみたことのないはじめて見るフグであることを認識していた」のであるから、「相当な注意を払いさえすれば、中毒死傷の結果を予見することは、当然可能であつた」かどうかである。

この点に関連して阿部宗明は、当公廷において、人間が地方地方によつて色々な相違があるように、同じ魚でも地方的な変異があり、同じ「サバフグ」でも、とげの生えている場所や、背骨の数さえも相違がある旨供述し、被告人自らも同じ魚でも、地域によつて、その色のこいうすいや大きさに相違があると述べているから、被告人自身「ナゴヤフグ」そのものと信じていたのではなく、それに似ていると思つた上で漁獲したものであつたとしても、そのこと自体それ程重大視すべきことではなく、そのことから直ちに、被告人に「本件フグ」による中毒死傷の結果を認識することが可能であつたとすることは妥当でない。

仮に右の結論を不当とし、なおかつ、被告人に予見可能性を期待するのであるならば、魚類研究者や一般漁業者は、「本件フグ」と「サバフグ」の識別を極めて困難とするのにかゝわらず、被告人のみそれ以上の予見能力を有しながら、たまたま注意を怠つて、予見できなかつたために本件の中毒死傷の結果を招来したのであるからそれはもはや犯罪構成要件に該当せず、犯罪となる余地がない。何となれば、客観的に予見できない結果は、構成要件的結果とはいえないからである。

おゝよそ、食用に供する魚の漁獲販売に従事する者は、その有毒性による危険の発生を防止するため、万全の措置を講じなければならない注意義務のあることは、多言を用いるまでもなく、当然のことであらう。

しかしながら、結果の発生を避けるために、どのような措置を講ずべきかの注意義務の問題は、結果の予見可能性を前提とする。客観的に予見できない結果については、いかに結果が重大であらうとも、注意義務の問題も生ずる余地がなく、課すべき注意義務がない以上、被告人に本件中毒死傷の結果を予見できたか否かを考える必要もない。従つて、被告人に過失の責はない。

「本件フグ」を食用に供したことは、食用に供してはならないものを供したのであるから、勿論違法であらう。

しかしながら、「本件フグ」の正体が明らかになつた現在においてこそ容易にその結果を予見することができるであらうけれども本件発生当時は一般に予見しえないところであつたのであるから、招来した結果がいかに重大であろうとも、直ちに、その責を被告人に帰することはできない。

以上述べた理由に基づき、被告人に対する本件公訴事実は、罪とならないから刑事訴訟法第三三六条前段を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 田畑常彦)

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